昨今、薬剤師はやれ処方箋通りに袋詰めしているだけの誰でもできる仕事やら、やれAIに淘汰される職業やら言われたい放題である。
それもこれも世の人があまり薬剤師について知らないのが一因ではないか。薬剤師はもっと自身について発信すべきである。私がその一端を担おうじゃないか。薬剤師の仕事を赤裸々に書いていこうではないか。
薬剤師のありのままを綴ったエッセイ。待望の第2章。
もくじ
薬剤師は処方箋通りに薬を出すだけ?!
処方監査とは?
薬剤師の業務の一つに処方監査というものがある。
処方監査とは。
読んで字の如く、医師が出した処方の内容が正しいか監査することである。
これには大きく分類すると形式的なものと薬学的なものの2つの意味が含まれる。
いきなり話は変わるが、薬剤師批判の代表的な雑言に「薬剤師は処方箋通りに薬を出すだけ」というものがある。

果たして本当にそうなのだろうか。
疑義照会とは?
疑義照会とはなんぞや。
処方監査をした結果、疑問が発生した場合にその疑問点を医師に確認することである。
上で処方監査には「形式的なもの」と「薬学的なもの」の2つがあると書いた。
「形式的なもの」とはいわゆる処方の入力間違いであったり、処方日数に制限のある薬が制限を超えて出されていたり胃薬が重複して出されていたりといったいわゆる「形式的」な間違いである。
一方で「薬学的なもの」とは、薬理学的な観点からの疑問であったり、薬物動態的な観点からの疑問であったり、薬学的に色々考えた結果生まれる疑問である。
全ての薬剤師はこの業務を日常的に行っている。
何故なら疑義照会が必要になる処方というのは意外に多いからだ。
1日に全国で処理される処方箋およそ220万枚−
うち6万枚を超える処方に疑義照会がかけられており
約70%は処方変更になっている
荒井ママレ(2018)「アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり」ノース・スターズ・ピクチャーズ
上記によると全処方の実に3%は疑義照会にかけられ、その結果全処方の2.1%は処方が変更になっていることになる。
単純計算で50枚に1枚だ。
もちろん、単純な用法用量の記載ミスや日数変更、その他些細なものも含んでの値が「1日6万枚」だろう。
だが、中にはそのまま処方箋通りに薬を出した場合最悪命に関わるものも含まれる。過言ではない。
薬剤師エッセイ 第2章 答えの決まっている質問を後輩にするのは、もうやめよう
実録レポ(ややフィクション)
当院薬剤部では薬が患者のもとに届くまで
①処方監査する人、②調剤する人、③最終監査する人
の3人が関わり、間違った処方が患者のもとに届くことのないようにしている。
施設によって①と②が一緒であったり多少の差異はあると思うが、基本的に複数の薬剤師の目を通すことが多い。
基本的に①の人が処方箋を見たとき(監査したとき)に疑問があれば医師に疑義照会し、だいたいここで修正される場合は修正される。
仮に①が見逃した場合②が①に確認をしたか確認し、①と②が見逃した場合、③が①と②に確認したか確認することとなっている。
この過程でだいたいの問題点は解決されることになる。
よくあるよくないパターン
ここでよく発生するのが、①が後輩で②ないし③が先輩のパターンである。
①が経験年数の浅い薬剤師であれば、知識不足により処方に問題があっても気付けないこともあるだろう。また、処方がたくさん来ることによりうっかり見逃してしまうこともあるだろう。
そこで、②ないし③の優しい先輩が優しく指摘してくれる。これは大変ありがたいことである。先輩さすが! ありがとうといった感じだ。
ただ、②ないし③が厳しい先輩だったらどうだろう。その場合の決り文句はこれだ。
「おまえさあ、この処方このまま通していいと思ってんの?」

どうだろう。
「いいと思ってんの?」は悪魔のQuestionである。
なぜならこの問いに対する答えとその先の流れは既に決まっているからだ。
①「いいえ、思ってないです」→「じゃあなんで通した?」
②「はい、いいと思いました」→「いいわけないだろ」
このように質問の時点でYes、Noどちらで答えても叱責されることが確定されているのだ。そもそもこう聞かれた時点でどこかしら間違っていたのだろうということが容易に予想されるため後輩の立場では①はおろか②も言えない。
……なんて言えばいい!

代わりに
「この処方、間違ってると思うんだけど確認した?」
こう聞けば
①「いいえ、確認してません。すぐ確認します」→「了解」
②「はい、確認して大丈夫とのことでした」→「了解」
となりどこにも波が立たない。
たまに②でも「医者が大丈夫って言ったら大丈夫なのか?」となるがだいたいは丸く収まる。
ではなぜわざわざ最初に挙げたようなメンドクサイ問い方をするのだろうか。
色々考えられることはある。が、あえて記述するのはやめておこう。あくまでこれはフィクションである。
その結果言われるがままに疑義照会をすることになる。形式的なもので単純な処方間違いや薬学的なものでも問題が明確な場合は良い。医師からも特に何も言われることなく処方は修正となることが多い。
しかし、薬学的なもので何が間違っているのかよくわからないときが問題である。先輩も何故か教えてくれないことが多く、聞いても自分で調べろの一点張りである。
そして言われたとおり調べているといつまで調べているんだと急かされる。そのため、そういった場合は別に良くない? と思いながらも医師に疑義照会することになる。

この際良くないのは医師にも「別に良くない?」と言われることである。「別に良いですよね」となり電話を切り先輩に報告すると「良いわけないだろ」となる。八方塞がりである。もう困っちゃう。
思い返しているだけで胃が痛くなってきた。
話は逸れるがある程度年数を経た私は上述の問いにも根拠を持って処方を通した経緯を説明することで意外と納得してもらえるということに気が付いた。
ここで似たような怖い先輩がいて似たような状況に遭い困っている新人薬剤師の方を想定して僭越ながらそのような状況をどう切り抜けるかアドバイスをしたいと思う。
それは先輩より知識を身につけることである。
これしかない。意外と薬剤師というものはある特定の分野に詳しくても他の分野にはそこまで詳しくないという場合が多い。先輩も普通にわからなくてわからないまま上述したような質問をしてくることも多い。
その際にきちんとしたエビデンスを持って先輩に説明できるようになれば、おっこいつはきちんと勉強しているな、意外とデキるやつだなと一目置かれるようになること必然である。
何より先輩云々は置いておいて知識を身につけることで当然ながらスキルアップできる。処方箋を見るだけで薬剤師として色々なことに気付けるようになる。自信を持って処方を通すことができるようになる。
作家である森博嗣氏の本にも「プレゼンなどで緊張しない唯一の方法は会場にいる誰よりも自分が詳しいという自負を持つことである」といった旨のことが書かれていた気がする。すごく納得したのを覚えている。
「ふええ、そんなこと言われても勉強しなくちゃいけないことがたくさんあって手が回らないよお」という新人薬剤師の方は自分の得意な分野を一つ作ると良い。そして周りにも詳しいアピールをすることでこいつはこの分野には詳しいんだな、と一目置かれるようになるだろう。たぶん。
そのため、肝要なことは日常業務で生じた疑問はその日のうちに解決しておくことである。翌日に持ち越すと翌日にそのことを怖い先輩に聞かれて昨日調べておけばよかったーと後悔することうけあいである。調べよう、疑義。解決しよう、疑問。
閑話休題。
さて、ここで何が言いたいかというと何も胃をむやみに痛くしたいためにこのようなことをわざわざ書いているわけではない。薬剤師はこのような様々なしがらみを乗り越えて正しい処方が患者さんに届くように尽力しているということが言いたいのである。
そのため世の薬剤師は「処方箋通りに薬を出してるだけ」とか言われるともれなく悲しくなってしまうので、世の人はぜひ薬剤師は胃が痛くなりながらも間違いのない薬を患者に届けるために七転八倒しているんだと思っていただけると駄文を書き綴ったかいがあったというものである。
また、しつこいようではあるが本エッセイに登場する人物は紛れもなくフィクションである。怖い先輩は想像であり私の創造なので特定とかしないでいただきたく存じ上げる。
しかし再び対象読者が非医療関係者なのか薬剤師なのか他の医療関係者なのかよくわからないエッセイになってしまった。次回はちゃんと想定読者を定めたエッセイを書きたいと思われる。